中小企業が挫折する「マスタ登録」という名の鬼門
#ERP#経営管理#各論#マスタ登録#内部統制ERPに限った話ではありませんが、システム導入は様々な要因で定着化が遅れ、あるいは導入・運用が頓挫し、元のシステムに戻してしまうといった問題がよく起こります。今回は様々な要因の内、導入当初の鬼門である「マスタ登録」について説明したいと思います。
そもそもマスタ登録とは?
マスタ登録とは、コンピュータシステム上でマスタデータを登録することです。マスタデータとは、仕訳・計上といったデータ処理の基本となるデータで、「商品マスタ」「得意先(顧客)マスタ」「仕入先マスタ」「給与マスタ」「勘定科目マスタ」等があります。例えば「商品マスタ」では下記のような項目をマスタデータとして登録します。
- 商品ID・コード、商品名、サイズ・カラー等の商品区分
- 仕入先、仕入価格、その他仕入区分
- 取扱部門、店舗ID・コード
- 課税区分 等
現在「マスタ登録」「マスタデータ」といえば、上記の通りコンピュータシステム上の用語だと多くの人が認識していますが、実はこれらは紙で管理していた時代から「台帳」として存在していました。紙からコンピュータシステムに代わっても、基本的に管理している内容はほとんど変わっていません。では、便利になったはずの今の時代、何が問題となっているのでしょうか。
マスタ登録がスムーズにいくか否かでERPの定着率は大きく変わる
上記の通り、マスタ登録とはありとあらゆる取引をコンピュータシステム上で登録・処理するために欠かせないものであることが分かりました。しかし、紙の台帳管理からコンピュータシステム上のデータ管理に代わってとても便利になった…とは必ずしも言えず、むしろ混乱を生じさせる要因にすらなっているケースもあります。その原因は、マスタ登録をしているシステムの分散・乱立が招くデータの「不統一」「不整合」、その結果としての「真のマスタ」の所在不明にあります。
今の時代、ほとんど、というよりほぼ100%の企業が何らかのシステムを2つ以上導入・運用していると思います。例えば、販売・購買管理はシステムA、人事・労務管理はシステムB、財務会計はシステムC…といった具合です。システムの中でもERPは販売、購買、生産・在庫、人事・労務、財務・管理会計等、管理する領域が広範囲に及び、マスタ登録するマスタデータも必然と多くなりがちです。そんなERPのマスタデータをマスタ登録するにはただでさえ多くの時間を割くことになるのに、システム間のデータの「不統一」や「不整合」が随所にみられ、しまいには「真のマスタ」が何なのかが分からないというケースも散見されます。そのような状況ではスムーズなERP導入などできるはずもなく、何とか登録し終えたとしても、後に処理する取引が正確なのか、他のシステムときちんと連携できているかといった正確性も担保できないという状態に陥りかねません。
人的リソースに余裕がある、若しくは外注する資金力に余裕がある大企業であれば、プロジェクトを組成し、中長期的に取り組めば問題ないのかもしれませんが、中小企業にはそのような経営資源の余裕はない場合がほとんどだと思います(大企業であってもそんな余裕はなかなかないと思いますが…)。
「システムを導入する前に考えておくべきポイント」でも説明しましたが、現状と目的の差=課題を洗い出し、課題を解消するために何をすべきか・何が必要かを整理することは、このマスタ登録にも当てはまります。中小企業ほど念入りに事前準備をしないと、導入直後のマスタ登録をスムーズに完了することはできず、よしんば完了できたとしても「こんな面倒なERPはもう使いたくない!」等といった不満がユーザーから噴出し、ERPの定着化を阻害する要因となってしまいます。
失敗しないマスタ登録の方法
さて、事前準備が必要なことは分かりましたが、具体的にどのような準備をしておけば良いのでしょうか。
まずはマスタ登録における目的(ゴール)の設定です(そもそも大前提であるERPを導入する目的から整理しておく必要があります)。例えば、下記のように段階的にイメージして、目的と目的を達成するための最低限の条件を整理してはいかがでしょうか。
- →ERPで管理したいのは、販売管理、購買管理、在庫管理、財務会計の4つの管理機能
- →→これら4つの管理機能はそれぞれのデータ処理が同期・連携され、整合が取れている
- →→→マスタデータ(基本情報)は表記ゆれやデータの重複・抜け漏れがないことが求められ、管理が煩雑にならないように可能な限りまとめたい
上記のように目的をはっきりさせたら、現状の整理、課題の抽出、対応策の検討を進めます。ERPで管理したい販売管理、購買管理、在庫管理、財務会計に関する現状の業務とシステム(Excel等の表計算ソフトも含む)の関係を整理します。整理する観点は、マスタデータ(基本情報)に表記ゆれや重複・抜け漏れがないかです。具体的には下記のステップで進めます。
ステップ①
下表のように現状の業務フローを作成し、業務とシステムの関係性を把握します。業務フローの軸は「部門・担当者」と「業務」で分け、「業務名(分岐あり・なし)」「システム名(分岐あり・なし)」「資料名」等の凡例を設定し、誰が見ても分かるように整理します。
ステップ②
業務フローで整理した個々の業務を、「大分類」「中分類」「小分類」や「Lv.1」「Lv.2」「Lv.3」といった階層構造に一覧表形式で整理し、それぞれの業務にどういう情報が登録されているか、情報が整理されているマスタや資料名は何か等も整理します。
ステップ③
個々のデータが正しいかを証憑類と突き合わせ、正となるデータを特定します。また、表記ゆれの防止や入力項目の統一を図るために、入力ルールやフォーマットを検討しておきます。
ステップ④
正のデータ、入力ルール・フォーマットに沿って、重複や表記ゆれ等をなくし、どんなデータをどこで保管・統合するかを検討します。エクセル等の表計算ソフトで管理している場合、システムとの同期・連携が煩雑となるため、可能な限りシステムのマスタにまとめる等の対応策を検討します。
なお、マスタ登録に限った話ではないですが、このように現状の業務やシステム、データの整理をすると、自ずとムリ・ムダ・ムラを発見することができるかと思います。こうした業務、システムのムリ・ムダ・ムラを抜本的に見直し、再構築することをBPR(BusinessProcessRe-engineering)といいますが、システム導入の際には必ずと言っていいほどBPRも検討します。
さて、ステップ②から④を整理すると概ね下表のようになります。
ステップ⑤
最後に、ERPを導入したら誰がどのマスタデータを登録するのか、どういう段階・スケジュールで進めるのかを検討して、事前準備は終わりとなります。
以上が、マスタ登録をする前に検討しておくべきステップとなります。もちろん、上記のように単純にはいかない場合がほとんどで、これを見た方の中には「こんな面倒なことをやる時間がない」と感じることもあるでしょう。
しかし、「システムを導入する前に考えておくべきポイント」で説明したように、システムは目的達成のための手段に過ぎず、また万能ではありません。システムを活かすも殺すも扱う人間次第です。面倒な作業ですが、こうした入念な事前準備をしておくことで、マスタ登録のスピードと品質を大幅に向上させることができますし、何より現状の業務とシステムを全体的に理解する良い機会でもありますので、是非チャレンジしてみてください。
意外に見落としがちな内部統制の観点
内部統制と聞くと、上場企業が遵守しなければならないJ-SOX法等を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。ここでいう内部統制とはそこまで厳格なものではなく、中小企業であっても品質管理の面から、マスタ登録において最低限対応すべき点を説明していきます。中小企業が押さえておくべきマスタ登録における内部統制のポイント、答えはいたってシンプルで「承認・決裁」「承認・決裁ルール」の2点です。
ポイント①承認・決裁
マスタの新規登録、変更、削除等を担当者が独断で実行しないように、承認者の事前承認を得た上で実行できるように権限を設定します。さらに、事前承認の内容で正確に登録されているか、承認者が登録した内容を確認します。また、新たな取引先を登録する際には事前の与信審査も実施し、承認者の承認がなければ取引先の新規登録ができないように権限を設定します。
ポイント②承認・決裁ルール
マスタ登録における承認・決裁事項、(金額等の)基準、申請者、承認者を整理した決裁基準(表)を作成・運用します。ただし、決裁基準を細かく設定し、また運用ルールが煩雑だと定着しないため、はじめは簡易なもので構いません。無料のワークフローシステム、例えばMicrosoft社が提供するTeamsの「承認」機能等のシンプルなもので十分ですので、最低限の意思決定プロセスを社員に順守させることができそうなツールを使いましょう。
その他に、システム部門やその他バックオフィス部門が定期的にマスタを確認し、承認・決裁された適切な内容か、不要なマスタがないかnp等を評価することも重要です。マスタはあらかじめ準備しておけばその後の運用での入力ミスや不透明な取引を防止できる便利な機能ではありますが、品質を担保しなければシステムそのものの信頼を損なうことになるため、上記のような承認・決裁についても整備しておく必要があります。
まとめ
マスタデータ及びその集合体であるマスタはあらゆる企業活動の集約であり、極めて重要な資産です。したがって、その内容は信頼に足るものでなければなりません。一方で、ここまで説明すると「事前準備や承認・決裁の必要性は理解するが、そこまで手間と時間をかける余裕がない」と感じる方が大半だと思います。しかし、こうした対策を丁寧に実施することで、データ処理中のエラーや手戻りが大幅に減り、品質を担保することができますし、BPRにより業務を見直すきっかけになります。その結果、企業経営全体の効率化、コスト削減、品質・セキュリティ向上につながるのです。目先の面倒をいとわず、是非とも中長期的な視点で取り組んでいただければと思います。
この記事を書いた人
下川 貴一朗
証券会社、外資・内資系コンサルティングファーム、プライベート・エクイティ・ファンドを経て、2020年10月より取締役CFOとして参画。 マーケティング・営業活動強化のため新たにマーケティング部門を設立し、自ら責任者として精力的に活動している。